米不足と新食糧法

中川 健一 昭和19年生まれ

有限会社となって数年。この頃、六星の主力商品は餅でした。お米じゃないの?と思われた方もいるでしょう。今では珍しいことではありませんが、当時農家が米を販売することはできませんでした。獲れた米は決められた所に納めるのみで、個として販売することも、「○○が作ったお米」と名乗ることもできませんでした。その点、餅やかきもちは自由に販売が可能です。自分たちが思うように売り出した結果、いつの間にか餅がメイン商品となっていたのです。そんな中の平成5年、全国的な米不足が発生。スーパーはもとより卸業者までが米を求めて駆け回る、まさに平成の米騒動となりました。


六星のライスセンター

中川「デパートで餅の販売をしてると、米は作れるか?って声が掛かるんやな。」
竹多「もちろん米も餅米も作れますよ!いつでも出せますよ!(笑)」
中村「農家と直接取引きできれば、米は確保できたも同然。これでスーパーも卸も安心ってもんや。」

この米騒動を受け平成7年、政府は一定の条件を満たせば農家でも米を売ってもよいという「新食糧法」を制定。餅を売る傍ら、米の受注数も順調に伸び始めました。そして翌平成8年には新しいライスセンターを建設。昭和53年に建てたライスセンターの倍、100ヘクタールの処理能力を持つもので、飽和状態だった作業がスムーズに。農薬や化学肥料の使用を控えて栽培した特別栽培米(現在の特上米や六星米こしひかり)もこの頃生まれ、評判となりました。

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