法人から有限へ

中村 武志 昭和19年生まれ

北村「今やから言うけどな、個人的には抜けようとしてたんや(笑)。このままじゃただ年を喰うだけで先がないなぁと思って。」

加工・販売も板に付き始めた平成元年。世間の反響とは裏腹に4人は悩んでいました。組合法人であることに無理が生じてきたからです。その理由としては、①組合法人は共同意識が強い。これは4人が同じ権限を持つことを意味します。つまり全員が社長のようなもので、何か一つの事を決定しようとしても全員の承諾が必要となり、決定までに多大な時間がかかってしまうのです。②次世代に繋げない。組合法人だと4人がいなくなった時点で存続不可能となります。子供に継がせる意志がなかったため、当時40代後半の彼らにとってこのことは大きな不安材料でした。③組合法人が理解されていない。○○組合法人と言われてピンとくる方は少ないのではないでしょうか。


実りの秋を迎えて

ここまできて“なんだか分からないけれど農業をやっている団体”では悲しい限りです。そのほか給料が一律、時代の波に乗れていないなどの意見も汲み、話し合いの末、組合法人から有限会社への切り替えを決意。実はこの時、解散の話も出ていました。ですが農地請負をしたり、名産品を手掛けたりするうちに芽生えた「微力ながらでも地域産業に貢献できている喜び」がその思いをかき消したようです。

中村「辞める理由より、辞められない理由の方が多かったよ。」

こうして解散の危機を乗り越え、組織としてより強い結束の下、有限会社六星生産組合が誕生しました。

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