餅づくり誕生秘話

初めて餅を製造したころの様子

「農事組合法人六星生産組合」と名称変更した翌年の昭和55年。プリンスメロンを栽培するために建てた十数棟のビニールハウスでは、ネットメロン・トマト・いんげん豆など様々な作物が育てられていました。リスクが少なくてより良いものを、と挑戦し続け1年が経過。夏のある日、40度以上に蒸し上がるビニールハウスの中で4人はこんな話をしたとかしないとか。


竹多 達弘 昭和17年生まれ

中川「暑い、暑い、暑い…。」
竹多「あー、何かいい作物ないんか。こんなハウスの中じゃ体がもたんわ。」
中村「餅はどうや。わしと健さん(中川)は正月に町の餅屋でバイトしたこともあるしな。丸~い形のだって作れるぞ。」
北村「そういえば竹多さん、初老だね(笑)。初老餅でも作ろうか。」

嘘のような本当の話ですが、六星の餅・初作品は“竹多の初老餅”です。この地域では昔から42歳になると厄払いの意味を込めて、神社へ鏡餅を納め、知人に餅を配る風習があるのです。
ここまでの4人の行動を振り返ると、闇雲に何でも作る無鉄砲集団のように思われる方もいるでしょう。ですが、成功の第一歩は「行動」でしかありません。そしてこの些細な会話から始まった餅づくりも、餅米が作れなければ、さらに中川・中村の経験がなければ出来なかったこと。ちゃんとした裏づけがあるのです。
こうして作られた竹多の初老餅と、正月の鏡餅(試作)を皮切りに、六星の餅づくりがスタートしました。

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