一生に続く一年

創業当時の会議の様子

昭和52年。6人だった仲間は5人となり、いよいよ中奥六星生産組合が動き始めました。 各自で行っていた水田は北村が、レタス栽培は他の4人が担当し、農家たちの壮大な夢がスタートしました。5家族総出で行った始めての共同作業は、昼も夜もなくひたすらに日の作業をこなすのみ。あっという間の一年でした。

竹多「一年目なんて反省する暇もない。夢中だったな。」
北村「で、気づいた時には600万円の赤字(笑)。」
中村「もう後戻りできない!ってね。」
中川「でも誰一人やめるなんて思ってなかった。むしろ次の年のことを考えてたもんな。」


中川健一

一年間汗水流して600万円の赤字。普通ならとうに投げ出しているところでしょう。ところがこの5人はさらに意欲を高め、翌年にはライスセンター、大規模なビニールハウスの建設など驚くべき計画を実行させます。

北村「方向性はみんな一緒だったからね。組織として向かう先がブレなかった。」

農業が好きで、そこに集まる仲間が好きで。続ける理由はただそれだけだったのかもしれません。一度乗り込んだ船なら、最後までこぎ続けてみよう。そこには、組織農業に踏み出した責任感とエネルギーが充実していました。全員があらためて進むべき道を確信した昭和52年の暮れでした。

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