きっかけはレタス

北村 歩 昭和17年生まれ

北村「あの話を持ちかけてきたのは、農協の方と竹多じゃなかったかな。」

それは北村が木材屋に勤めて15年目のこと。30歳を越えこの先転職は難しいだろうと、家業であった農業を真剣に考え始めた矢先でした。農協が各農家にレタスの栽培を勧めたのです。減反政策の一環でした。その呼びかけは村全体に広がり、会合ではたくさんの人が集まりましたが、最終的に絞られたのは6名でした。そのうちの4人が現・六星の創立メンバーです。昭和51年に初めての会合を、翌年6月にはレタスの栽培を開始。それぞれが家で営む田んぼはそのままに、レタスだけは共同で作ろうというものでした。
この新しい試みに周囲からは反対の声も上がったといいます。家族や親戚、近所の人までもが心配し、県からは「そんなことやっても無駄だ」 と言われたことも。確かにまったく初めてのこと。当の本人たちにも多少なりとも不安はあったことでしょう。

家族との思い出(昭和50年ごろ)左上が北村

ジョーク混じりに、時に脱線しながらここまで話してきた4人ですが、レタス栽培の話題になり揃って口にした言葉があります。

「六星は、家族の理解で成り立ってるんや。」

決して順調なわけではなかった新しい道。様々な逆境を乗り越え、今こうして笑って話せていることもすべては「家族のおかげ」だと言います。
美味しい作物をつくるために共に汗水を流し、共に笑いあう。そんな絆で結ばれた4家族が出会い、手をつなぎ、同じ目標を掲げたこの年、いよいよ六星の第一章が動き出します。

※次回は「中奥六星生産組合時代(昭和52〜54年)」 8月上旬掲載予定です。

編集:大上戸 裕・中川 雅美
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