農業と、出稼ぎと

竹多 達弘 昭和17年生まれ

小学校〜高校へと進学し、それぞれの道を歩き始める頃。創立メンバー4人も社会人としての一歩を踏み出します。

北村「高校を卒業してすぐ繊維の卸をやった。生コンの運転手もしたね。」
中川「片町で電話工事。あれは忙しかったな〜、休みなんて簡単に取れなかった。」
竹多「まずは染色会社に就職。1年勤めたかな。」

あれ、農業は?と思われたかもしれません。今となっては六星という一つの会社ですが、この頃はあくまで「農家」。外で働きながら、農繁期の時間を田んぼに充てる「兼業」が主流でした。 ですから外での仕事はできるだけ休みが自由に取れるところ、田んぼの作業を理解してくれるところが好ましいわけです。中川のようになかなか休みが取れない職場は大変です。 しばらく勤めた後、植木屋に転職することになりました。

地元青年団時代の思い出(昭和39年ごろ) 上段左から3人目が中村、同4人目が中川、上段右から2人目が竹多

外での仕事=出稼ぎといったものでしょうか。4人は実に様々な仕事を経験しています。陸送屋、木材屋、資材屋、水道屋…。田んぼと兼業可能な職場や冬の期間を利用して働き、農業以外の腕もかなり磨いてきたようです。
仕事もバラバラ、生き方もバラバラ。そんな4人が出会ったのは昭和51年、農協の方が持ちかけた一つの提案からでした。

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